12.31.21:28
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12.16.09:32
SC54コンバートエンジン オイルクリアランス編
寒すぎるせいかパニアのパテはほとんど硬化していません・・・。
まあ、急いでやったところで痩せが出てしまっても仕方ないので次のことを行いましょう。^^
アッパークランクケースのスタッドボルトオフセットが完了してから、暇になるまで放置していました。^^;
エンジンを組み立てていくのは簡単なんですが、その前に大変重要項目のクランクシャフトメインジャーナルのオイルクリアランスを調整しましょう。
調整といってもメタルベアリングの交換だけですけどね。
こちらはロワーケースです。
メインジャーナルの内径はアッパーケースに刻印されている文字を目安にします。
このケースはSC38のものですが、B.B.C.C.A.Bと刻印されていました。
左から#1~#6になります。
この場合、マニュアルを参照しますと黄、黄、緑、緑、桃、黄となりますね。
夫々のメタルベアリングのサイドに塗布してあります。
その色のベアリングを左側#1からはめ込んでいきます。中古のメタルでも使用限界を超えていなければオッケーですがなるべく新品のが良いでしょうねえ。
クリアランスの計測にはプラスチックゲージというものを使います。
他の方法もありますけどこの方法が一番ベターだと思いますよ。
このプラスチゲージを適当な長さにカットしましてメインジャーナルの上においていきます。
簡単に飛んでしまいそうなものですので、少量のオイルを付けておいて乗せるとやりやすいと思います。
そうそう、メタルとクランクジャーナルは脱脂した状態です。^^;
ロワーケースをかぶせます。
クランクシャフトが回転してしまうと元も子もないのでバランスを考えて乗せておきます。
メインジャーナル用のボルト指定がありますのでそれにしたがって規定トルクで閉めこみます。
その後、ボルトをはずしましてロワーケースもはずします。
メンドクサイですよね・・・。^^;
このようにプラスチックが潰れます。この幅を計ってオイルクリアランスを判断します。
これの場合、右のゲージの潰れ幅が小さいですよね。
メタルはどちらも緑ですのでメタルが減っているかもしれませんね・・・。
#1のジャーナルですが、このようにプラスチゲージの袋にゲージがありますのでこれを使ってクリアランスを確認します。
こっちは#6のジャーナルですが、#1~#6のクリアランスがばらばらでした・・・。
これですとジャーナルによろしくありませんのでメタルベアリングの組み合わせを変更します。
今度はSC54のケースに刻印されているものを参照してみましょう。
言ってませんでしたがクランクシャフトはSC54のエンジンに入っていたほうを使用してます。
SC54にはB.C.B.B.C.Cと刻印されていました。
これを黄、緑、黄、黄、緑、緑に変換します。
スイマセン、忘れてました。
クランクシャフトには1か2の6桁表記で刻印されています。
クランクシャフトには1.1.1.1.1.1と刻印されていますので、マニュアルの1を参照しましてメタルを選定します。
写真撮り忘れちゃいましたね・・・。
夢中でやってるとすぐに次に行きたくなっちゃって・・・。^^;
2回目のチェックで#1~#6まで均一にプラスチゲージが潰れました。
クリアランスは0.038前後でした。
マニュアルでクランクのオイルクリアランスの範囲を確認して範囲内か確認します。
次回は組み込みとケースの上下合体です。^^;
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12.14.17:42
パニアケース修理はじめました。
お仲間のパニアケースの修理を開始しましょう。
まずはバラせるだけバラしましょう。
GIVIの蝶番部分ですがピンが入ってる反対側には穴がありません。
ピンを取り出せませんので反対側に穴を開けましてたたき出します。
今回は2.5ミリで明けました。戻した時にピンが貫通しないように、ピンより細いほうがいいでしょう。
ピンにはローレット加工で抜け止めになっていました。
反対側から叩き出さないと抜くのは不可能かと・・・。
これで分離完了です。傷になった部分のカバーは内側からビスどめされていましたので普通に取り外しオッケーでした。
傷になった部分をランダムサンダーで整えたあと、アセトンで洗い流します。
これは母材がABS樹脂の時、アセトンを塗ることで表面が溶け出します。
このあとのパテの接着性を向上させます。
ダメージ部分を研磨したところです。
パテ盛りです。
1回目は深い傷の穴埋めですね。#120のパテです。
番手はパテの硬さを示しますが、サンドペーパーの番手をイメージすると分かりやすいでしょう。
冬場ですとパテの硬化に時間がかかります。
仕上げを急ぎすぎて研磨しますと、あとからパテが痩せてしまってよろしくありませんのでじっくり硬化させることが重要ですね。
もちろん、プロは違う方法をとっていますがね。^^;
パテが硬化しないことには次に進めませんので、フルコンX4の仕上げを行いました。
最近はヘタレてしまって寒いと乗りたくありません・・・。^^;
明日は少し走ってみようかな。^^
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12.13.08:51
パニアケースは蘇るのか・・・。^^;
モトツアのお仲間がバイクや主催のツーで転んじゃって、あばらを何本かやっちゃいまして全治半年?ぐらいの重症。
それでも先日のモトツア忘年会には出席できるぐらいまで回復していますので大丈夫そう。^^
お大事にしてください。
これが持ってきてくれたパニアケースです。
こういうのって板金やさんだと嫌がって直してくれないことが多いんですよねえ。
これをどのように修理していくか検討していきます。
塗装がしてあるところは問題なく直せるんですが、問題は非塗装部分ですねえ・・・。
材質はABS樹脂だと思うんですが、板金用のパテを使うかポリパテを使うか・・・?
さて、どうして行こうか・・・。^^;
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12.12.07:00
弁慶らーめんが無くなってる・・・?
靖国参拝を終えまして遅い昼食をとりに行きます。
ここも息子の希望で行くことにしました。
靖国通りから昭和道りに入って言問い通りを言問橋手前まで進みまして、弁慶の店の前に停車すると店はカラッポのもぬけの殻でした・・・。
仕方ないので堀切店に行くかといって車を走らせたところ反対側に弁慶らーめん発見。
移転していたの知りませんでした。^^;
Uターン禁止なので回ってきまして店に入ります。
門中店に似た形態です。が1F2F共座席がありました。
弁慶らーめん2つ分の食券を購入すると2階へどうぞと促されました。
¥50値上げしたみたいで¥700になっていましたよ。
10分ほどで来ました。
久しぶりに来ましたけど以前よりローボリュームなきがしますね。^^;
油もガツンと来なくてなんだかあっさりな感じになっていました。たぶん、ギタでお願いしますと言わないと前のようにはならなくなったのかな・・・?
でも、変わらぬ味で懐かしくてとってもおいしかったです。
もやしのシャキシャキ感と麺のおいしさは変わらず、メンマのコリコリ感も健在でした。
やっぱここのチャーシューは旨いですね、バラ巻きチャーシューですがとっても薄くなってました。
途中からにんにくを投入しまして味変、弁慶らーめんはにんにく入れて旨いらーめんナンバーワンです。^^
息子もやっぱうめーって喜んでました。
時々食べたくなる味ですね。^^
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12.11.00:56
千鳥が淵戦没者墓苑と靖国参拝に行ってきました。
仲間と解散後、途中お土産を買って、せがれのたっての願いで一路靖国神社を目指します。
今年はせがれの試合などで忙しくやっと2回目の参拝となります。
せがれの通っている中学ではすでに、自虐史観から脱している教師が居るらしくうちのせがれも自虐史観からは抜け出しています。
教師は左翼と決まっていると思っていたのですがそうとは限らないようですね。^^
戦後GHQと日教組による「日本人腑抜け化計画」教育を受けてきた私もずいぶん前に脱していますが、それまでは「日本人は良いこともした」と発言しただけで議員辞職に追い込まれるニュースなどを見てもなんでだべ?ぐらいにしか思っては居なかったんですがねえ・・・。
ほんとに戦後日本はおかしくなってしまいましたね。
正直なところ戦後教育でどんなことにも無関心になって、本来の日本人としての姿を忘却してしまったのではないかと思うところです。
何も戦争を美化しているわけではありません。
左翼のかたはいつもそれを常套句として持ち出してきますが、そんな浅い心理ではないことをご理解願います。
あの戦争で亡くなられた若き人々はもちろん、老若男女が命を落としました。 その方たちの御霊を弔い恒久平和を願うだけです。
靖国を参拝する前に千鳥が淵を歩きつつ、戦没者墓苑をおまいりに行きました。
こちらはせがれは始めて訪れました。
自分も久しぶりだったのですがとても綺麗になっていましたね。
中央の六角堂石棺に顕花をし、国家のためと私たちの未来のためにありがとうございましたと唱えました。
平成25年5月現在358,260柱が、六角堂内に安置されています。
戦後ご遺骨が日本に持ち帰られご遺族にお渡しできなかったものをこの納骨室に収められているようです。
反対側は皇居の千鳥が淵です。
弁慶橋のボートハウスがこちら側に移設されてました。さすがに乗っている人はおらず、休業中のようでした。
ここの桜は日本一綺麗だと自分は思っています。桜の満開時期は人々でごった返し歩くのも困難な状況になりますが、来年の春に来られることを願いたいです。
靖国の第一鳥居です。(大鳥居)
大正10年(1921)、日本一の大鳥居として誕生した第一鳥居は、「空をつくよな大鳥居」と歌われて親しまれていましたが、長年の風雨で損傷がはげしくなり、昭和18年(1943)に撤去されました。現在の第一鳥居は戦友たちの奉納により昭和49年(1974)に再建されたもので、高さは25mあります。
靖国HPより
参道から見た第二鳥居です。
明治20年(1887)に建てられた第二鳥居は、青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇ります。靖国HPより
第二鳥居を抜けた後、大手水舎で手と口を清めます。
この門が神門です。
神門は昭和9年(1934)に建てられたもので、中央の二つの扉には、直径1.5メートルの菊花の紋章が取り付けられています。平成6年(1994)の修復工事で、屋根の葺き替えが行われました。靖国HPより
拝殿です。
ここで家内安全と健康、そしてせがれの受験合格を祈願しました。
拝殿は明治34年(1901)に建てられたもので、この前には賽銭箱が置かれており、通常はこの場所で参拝します。拝殿の屋根は、平成元年(1989)に葺き替えられました。靖国HPより
今回感じたのは意外と若い方たちが参拝されているのだなと思いましたね。
今までだとそういう印象は無かったような気がしますが、合格祈願かな・・・?^^;
それでもたくさんの若者にご参拝して頂けることを望みたいですね。
パール判事の碑です。
東京裁判で判事を務め「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し日本人全員無罪を主張した方です。
そればかりか米国による日本への原子爆弾投下"こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。
さらに広島平和記念公園原爆死没者慰霊碑の碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を通訳を通して読んだ後、日本人が日本人に謝っていると判断し原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていないとの主旨の発言をおこなった。
パールは二度三度と碑文の内容を確かめた後「憤ろしい不審の色」を浮かべて「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、"わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ"というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。」「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」と表した。
この碑には
激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の思いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ち込まれた
悲願は消えない
抑圧されたアジアの解放のため
その厳粛なる誓いにいのち捧げた
魂の上に幸あれ
ああ 真理よ
あなたは我が心の中に在る
その啓示に従って 我は進む
一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール
と刻まれています。まさに真理であると思います。
本来はこの考え方が正しいのですがGHQは日本悪にしないといけなかったんですね。それが戦後自虐史観であり、日本人を腑抜けにしないと危ないと考えたのでしょう。
それが答えだと思っています。
本来であれば遊就館を見ていきたかったのですが時間の関係で又次回ですね。^^;
この後売店で学業と交通安全のお守りとカレンダーを購入しまして参拝を終えました。
それにしても靖国を参拝される方は作法も心得ておられましたね。
微笑ましかったのがカップルの女性の方が男性に教えていたこと。^^さすがでした。
ここを押して頂けるともっと頑張れます。^^
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