01.12.01:03
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12.11.00:56
千鳥が淵戦没者墓苑と靖国参拝に行ってきました。
仲間と解散後、途中お土産を買って、せがれのたっての願いで一路靖国神社を目指します。
今年はせがれの試合などで忙しくやっと2回目の参拝となります。
せがれの通っている中学ではすでに、自虐史観から脱している教師が居るらしくうちのせがれも自虐史観からは抜け出しています。
教師は左翼と決まっていると思っていたのですがそうとは限らないようですね。^^
戦後GHQと日教組による「日本人腑抜け化計画」教育を受けてきた私もずいぶん前に脱していますが、それまでは「日本人は良いこともした」と発言しただけで議員辞職に追い込まれるニュースなどを見てもなんでだべ?ぐらいにしか思っては居なかったんですがねえ・・・。
ほんとに戦後日本はおかしくなってしまいましたね。
正直なところ戦後教育でどんなことにも無関心になって、本来の日本人としての姿を忘却してしまったのではないかと思うところです。
何も戦争を美化しているわけではありません。
左翼のかたはいつもそれを常套句として持ち出してきますが、そんな浅い心理ではないことをご理解願います。
あの戦争で亡くなられた若き人々はもちろん、老若男女が命を落としました。 その方たちの御霊を弔い恒久平和を願うだけです。
靖国を参拝する前に千鳥が淵を歩きつつ、戦没者墓苑をおまいりに行きました。
こちらはせがれは始めて訪れました。
自分も久しぶりだったのですがとても綺麗になっていましたね。
中央の六角堂石棺に顕花をし、国家のためと私たちの未来のためにありがとうございましたと唱えました。
平成25年5月現在358,260柱が、六角堂内に安置されています。
戦後ご遺骨が日本に持ち帰られご遺族にお渡しできなかったものをこの納骨室に収められているようです。
反対側は皇居の千鳥が淵です。
弁慶橋のボートハウスがこちら側に移設されてました。さすがに乗っている人はおらず、休業中のようでした。
ここの桜は日本一綺麗だと自分は思っています。桜の満開時期は人々でごった返し歩くのも困難な状況になりますが、来年の春に来られることを願いたいです。
靖国の第一鳥居です。(大鳥居)
大正10年(1921)、日本一の大鳥居として誕生した第一鳥居は、「空をつくよな大鳥居」と歌われて親しまれていましたが、長年の風雨で損傷がはげしくなり、昭和18年(1943)に撤去されました。現在の第一鳥居は戦友たちの奉納により昭和49年(1974)に再建されたもので、高さは25mあります。
靖国HPより
参道から見た第二鳥居です。
明治20年(1887)に建てられた第二鳥居は、青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇ります。靖国HPより
第二鳥居を抜けた後、大手水舎で手と口を清めます。
この門が神門です。
神門は昭和9年(1934)に建てられたもので、中央の二つの扉には、直径1.5メートルの菊花の紋章が取り付けられています。平成6年(1994)の修復工事で、屋根の葺き替えが行われました。靖国HPより
拝殿です。
ここで家内安全と健康、そしてせがれの受験合格を祈願しました。
拝殿は明治34年(1901)に建てられたもので、この前には賽銭箱が置かれており、通常はこの場所で参拝します。拝殿の屋根は、平成元年(1989)に葺き替えられました。靖国HPより
今回感じたのは意外と若い方たちが参拝されているのだなと思いましたね。
今までだとそういう印象は無かったような気がしますが、合格祈願かな・・・?^^;
それでもたくさんの若者にご参拝して頂けることを望みたいですね。
パール判事の碑です。
東京裁判で判事を務め「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し日本人全員無罪を主張した方です。
そればかりか米国による日本への原子爆弾投下"こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。
さらに広島平和記念公園原爆死没者慰霊碑の碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を通訳を通して読んだ後、日本人が日本人に謝っていると判断し原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていないとの主旨の発言をおこなった。
パールは二度三度と碑文の内容を確かめた後「憤ろしい不審の色」を浮かべて「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、"わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ"というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。」「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」と表した。
この碑には
激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の思いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ち込まれた
悲願は消えない
抑圧されたアジアの解放のため
その厳粛なる誓いにいのち捧げた
魂の上に幸あれ
ああ 真理よ
あなたは我が心の中に在る
その啓示に従って 我は進む
一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール
と刻まれています。まさに真理であると思います。
本来はこの考え方が正しいのですがGHQは日本悪にしないといけなかったんですね。それが戦後自虐史観であり、日本人を腑抜けにしないと危ないと考えたのでしょう。
それが答えだと思っています。
本来であれば遊就館を見ていきたかったのですが時間の関係で又次回ですね。^^;
この後売店で学業と交通安全のお守りとカレンダーを購入しまして参拝を終えました。
それにしても靖国を参拝される方は作法も心得ておられましたね。
微笑ましかったのがカップルの女性の方が男性に教えていたこと。^^さすがでした。
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「戦争で亡くなられた方たちの御霊を弔い恒久平和を願う」という、日本人として当たり前の事を、多くの日本人が当たり前にできるようになる日は、もう少しのような気がします。
Re:戦後自虐史観
そうですね、自虐史観から開放されて中国、朝鮮の内政干渉がなくなればいいのですが・・・。
それでも若い人たちは増えてきているように思います。
それでも若い人たちは増えてきているように思います。
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