12.29.21:27
[PR]
09.08.10:28
マフラーフランジ焼き上がりました
フルコンX4の調整も終わりまして余裕の出てきました今日この頃です。^^ やっぱ、燃料をいっぱい入れてやったほうが調子がすこぶる良いので燃費の問題は仕方ないでしょう。
燃費改善はSC54のヘッドシリンダー、スロットルに載せ替えてから行うことにしました。
今の12R改のスロットルでは口径がでかすぎて、これ以上の燃費向上は無理と判断しました。パワーがある方が気持ちもいいしね。^^
作り直しましたマフラーフランジです。イン側は巣穴が多いのでパテで埋めました。
エンドキャップはベルトグラインダーで段差なく研磨しまして、ガンコート塗装に備えます。
もっと短く作ったほうが良かったですね。でも今回はこれで行きましょう。^^
パテを研磨しましてガンコート塗装を行う前です。ガンコート塗装の後の画像は撮り忘れてしまった。
ガンコートは塗装後に180度で1時間焼き付けませんと9Hの強度が得られません。お古のオーブンレンジを改造して作った焼窯で焼き付けます。
チーン♫
焼き上がりですね。まだ熱いのでしばらくの間自然冷却するのを待ちます。
その間、お古のカーボンシェルを切り出しました。しばらく放置していましたので劣化が進んでいました。保管する場合はちゃんと養生して保管しないといけませんね・・・。
表面の劣化がありますので、カーボン層まで研磨しまして塗装予定です。
カットする時は扇風機で粉を飛ばしながら行いませんとチクチク、チクチクで狂死思想になりますので注意ですね。^^;
続く
PR
09.05.08:58
インチキマフラー製作続き
前回のマフラーエンド製作は、溶接の熱によって凹んでしまって、更には組んでしまったために板金が不能になりやり直しとしました。
前回のは適当に切ってヘキサゴン形状にしたんですが、今回はきちんと円錐になるようにカットしてから溶接してみました。
多少丸みを帯びるように熱しまして板金したところです。
溶接面とフランジと溶接する部分を仕上げたところです。
いつまた溶接で肉盛を行うかわかりませんので、板金ができるように組み込み溶接は一番最後に行うことにしました。
エンドとフランジを溶接したところです。凹みも溶接ムラも出ませんでしたので仕上げに入りたいと思います。
イン側のフランジですが、黒くなってる部分、熱をかけすぎたために変質してしまったのでしょうか溶接棒が乗りませんでした・・・。
どっちにしても磨くのは面倒なのでガンコート塗装にすることにします。
ネットでグラスウールも注文したし。^^
09.01.10:07
急いては事を仕損じる×2
いやはや、またまた失敗してしまいました。ヘルメットリペアの仕上げ塗装だったんですがね、急ぎすぎて見事に失敗してしまいましたよ・・・。
先日塗ったベンチレーション部分やその他をマスキングしたところです。
このあとソリッドカラーをエアブラシで仕上げたんですが、その後のパール塗装でヤッちゃいました。
塗を急いだせいでタレを出してしまいました・・・。
反対側まで・・・・・。
こうなってしまうと完全硬化するまで手出しができなくなってしまいます。硬化後に研磨して状態を見ないといけないのですが、パールまで流れてしまったんで再塗装必至でしょうね。
急いては事を仕損じるを実演してしまいました・・・。^^;
さらにもう一つ、作っていましたマフラーエンドですが、くぼみが出たところを肉盛しまして修正しようとしたんですが、溶接の熱でその周りが凹んでしまうんですね。溶接の腕によっても違うんだと思いますけど諦めまして作り直します・・・。
熱で凹んだり、熱をかけすぎてしまって母材を酸化させてしまったりして、溶接は奥が深いですね。
何事も勉強あるのみです。
08.29.10:13
インチキヘキサマフラー製作中
インチキヘキサゴンマフラー製作中です。^^; 徳島のお友達のマフラーがかっこよかったんで、自分も買おうかなあって思ってヤフオク見てみたんだけど、高くて買えない・・・。
仕方ないのでインチキマフラーを制作することにしました。^^
途中までの仕上がりです。一枚のステン板から作りました。
平面研磨しますと溶接の巣穴が出てきますので埋め戻します。マジックのマークがついている部分ですね。
排気口の出口だけが六角で他は円です・・・・・。^^;
イン側はただの円形ですから。
シェルはベビーフェイスのカーボンを切って使うことにします。
以前修理を受けた時の技術が生かされましたよ。^^
08.27.09:34
太平洋戦争前の日本と同じ…
やっぱアメリカ人も、日米戦争の原因をわかっていたようですね。
太平洋戦争前の日本と同じ対ロ制裁が戦争に至る可能性を米識者指摘
概略抜粋
元アメリカ国務省のアドバイザー、ポール・サンダース氏は、NYT電子版に『制裁が戦争に結びつく時』と題した論説を寄稿した。同氏は、多くの歴史 家や研究者が現在のウクライナ情勢を1914年の第1次世界大戦前夜と比較する中、むしろ似ているのは太平洋戦争前夜だと、持論を展開している。
論説は、「ABCD包囲網」(戦前の一連の対日制裁)のうち、1941年7-8月の在米資産の凍結と石油の禁輸措置に言及。当時 のアメリカ政府内では日本が歯向かうとは誰も考えていなかったため、「飴とムチ」の「ムチ」だけを振るい、「飴」を与えなかったという米高官の回想を取り 上げている。
しかし、日本は同年12月、真珠湾攻撃を敢行した。サンダース氏は、当時の日本の軍部は「時間が経つほど制裁によって国力が低下すると判断し、すぐに攻勢に打って出る決定を下した」と記す。後にマッカーサーも日本の自衛戦争だったと懐古していますが、米国の一部識者も同じ考えを持った人がいるようです。
一方的に日本が真珠湾を奇襲して始まった戦争との認識が戦後の自虐史観でしたが、ABCD包囲網からハルノートに至るまでのアメリカの圧力がもはやアメリカによる宣戦布告のようなものでした。
アメリカの世論を味方につけるためにルーズベルトはリメンバーパールハーバーを扇動して自国民も騙したのは有名な話です。
満洲や朝鮮半島の権益は国際法に則ったものだったが、アメリカが満州を独り占めする日本はけしからんと中国を使ってちょっかいを出して中国進出に繋がりました。中国にアメリカが物資を提供していたのも常識です。
当時日本は防共の為に戦っていたのに、ルーズベルトの政策が誤っていました。その後の朝鮮戦争やベトナム戦争は彼らの自業自得となりました。このあたりはイデオロギー戦争ですが、先人が戦ったのは白人至上主義の人種差別戦争です。
戦後GHQによる日本人腑抜け化計画が薦められ、日本人は悪いことをしたんだー、反省しろーみたいな自虐史観はまんまと成功しました。GHQ占領軍は撤退しましたけどこの政策は未だに一部で進行しています。
これはアメリカが絶対正義じゃないと都合が悪くなるからです。ABCD包囲網からムチを一方的に打ち付けてきたアメリカを正義と認識しないといけなかったからです。その後長く続いた東西冷戦はアメリカ自身が招いたことといっても過言ではないしょう。防共の防波堤をアメリカが壊したのですから。
ロシアの体質はソ連時代と何ら変わっていないと思っています。経済制裁でがんじがらめにするのは確かに日米戦争前夜に似ていると思います。
戦争反対
