01.10.17:54
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01.24.14:30
永遠の0は特攻賛美か?
私は違うと思う。
先日、マイカーのユーザー車検のついでに、かみさんと永遠の0を見に行った。正直なところ感想をログすることに迷っていたのだ。原作を読んだあとだったので複雑な感想を持ってしまったからだ。
井筒監督とやらが「見たことを記憶から消したくなる映画」「特攻隊を美化している」と批判したそうだが、なんとなく中韓の日本批判のコメントのようだ。 人様の作った作品に対してこのようなコメントをできる人なのだからよほど立派な作品を世に生み出しているのであろう?とんと記憶にはないのだが・・・。
原作読んでしまったのでどうしても比較してみてしまう、ちょっと違う表現やら描写、台詞まで気になってしまったというのが感じるところ・・・。それでも、原作を読んでいなかったかみさんには普通の流れで違和感はなかったようだ。
この映画を見て特攻を美化しているというのであれば、それは余りにも感受性に問題があるか精神に歪みがあると感じる。特攻という背景は単なるテーマでしかない。その背景を生きた人たちの心の葛藤を表現しているものだ。
たしかに、あれほど特攻を批判していたにも関わらず最終的に特攻に志願したのか?との疑問があった。もちろんその部分に関しては何も描写されていなかった、読み手の感受性に提起してもらうためのことだと思った。
自分の感想では練習生だった頃の大石君が身を呈して守ってくれたことを、宮部少尉という善き人柄を描ききっていたため、何にも変えて恩義を感じていたと思う。 その大石君の特攻の名簿を見たときに、最後の何らかのチャンスに賭けて宮部さんも志願したのではないかと思った。
残念に思うのはラストシーンが描ききれていないといった部分があったところ。これは原作者の百田さんの問題ではなく製作者や監督によるものだろう。 特攻に行く人間が家族の写真をおいていくことはないであろう。原作で置いていったものはメモだけだったにも関わらず、写真とメモになっていたんだ・・・。
原作では戦死したあとに米兵が家族の写真を胸ポケットにしまう描写がある。 特攻賛美というのであれば特攻成功のシーンや描写があっていいはずだが、映画にも小説にも一切出てこない。ことごとく失敗するどころかほとんどの機体は目標にまでたどり着くことなく迎撃され、特攻という作戦の無意味さと上層部への不信を物語っていたのに。
実はその後せがれが漫画バージョンを買ってきたのだが、そのラストには志願した理由が書かれていた。このまま戦争を生き残るには多くの仲間や生徒を失いすぎたからではないかと・・・。 確かにそれもあるかとは思うが、大石君が特攻作戦の名簿にあったのを見て何らかの望みをかけて自らも同じ作戦に参加し、たまたま自分の機体の不調を見抜きそれを恩義として大石君に託した。自分の家族も含めて。
もしくは、もうこれ以上若い人たちの死を見ていることに耐え切れなかったのかもしれない。
「運良くこの戦争を生き残ったら・・・家族を助けて欲しい。」と・・・。
そして形を変えてでも帰ってくるというところに核心があったのではないだろうか。
もちろん物語なのだから多少の矛盾は仕方ないことだ。しかし映画で見てしまうとそれが全てになってしまう。とても難しい。あえて謎を残すことによって読者や視聴者に感慨を託したのだろうと思う。
岡田くんは良かったよ。^^
1日1回押してよ・・・。
ありがとう。
井筒監督とやらが「見たことを記憶から消したくなる映画」「特攻隊を美化している」と批判したそうだが、なんとなく中韓の日本批判のコメントのようだ。 人様の作った作品に対してこのようなコメントをできる人なのだからよほど立派な作品を世に生み出しているのであろう?とんと記憶にはないのだが・・・。
原作読んでしまったのでどうしても比較してみてしまう、ちょっと違う表現やら描写、台詞まで気になってしまったというのが感じるところ・・・。それでも、原作を読んでいなかったかみさんには普通の流れで違和感はなかったようだ。
この映画を見て特攻を美化しているというのであれば、それは余りにも感受性に問題があるか精神に歪みがあると感じる。特攻という背景は単なるテーマでしかない。その背景を生きた人たちの心の葛藤を表現しているものだ。
たしかに、あれほど特攻を批判していたにも関わらず最終的に特攻に志願したのか?との疑問があった。もちろんその部分に関しては何も描写されていなかった、読み手の感受性に提起してもらうためのことだと思った。
自分の感想では練習生だった頃の大石君が身を呈して守ってくれたことを、宮部少尉という善き人柄を描ききっていたため、何にも変えて恩義を感じていたと思う。 その大石君の特攻の名簿を見たときに、最後の何らかのチャンスに賭けて宮部さんも志願したのではないかと思った。
残念に思うのはラストシーンが描ききれていないといった部分があったところ。これは原作者の百田さんの問題ではなく製作者や監督によるものだろう。 特攻に行く人間が家族の写真をおいていくことはないであろう。原作で置いていったものはメモだけだったにも関わらず、写真とメモになっていたんだ・・・。
原作では戦死したあとに米兵が家族の写真を胸ポケットにしまう描写がある。 特攻賛美というのであれば特攻成功のシーンや描写があっていいはずだが、映画にも小説にも一切出てこない。ことごとく失敗するどころかほとんどの機体は目標にまでたどり着くことなく迎撃され、特攻という作戦の無意味さと上層部への不信を物語っていたのに。
実はその後せがれが漫画バージョンを買ってきたのだが、そのラストには志願した理由が書かれていた。このまま戦争を生き残るには多くの仲間や生徒を失いすぎたからではないかと・・・。 確かにそれもあるかとは思うが、大石君が特攻作戦の名簿にあったのを見て何らかの望みをかけて自らも同じ作戦に参加し、たまたま自分の機体の不調を見抜きそれを恩義として大石君に託した。自分の家族も含めて。
もしくは、もうこれ以上若い人たちの死を見ていることに耐え切れなかったのかもしれない。
「運良くこの戦争を生き残ったら・・・家族を助けて欲しい。」と・・・。
そして形を変えてでも帰ってくるというところに核心があったのではないだろうか。
もちろん物語なのだから多少の矛盾は仕方ないことだ。しかし映画で見てしまうとそれが全てになってしまう。とても難しい。あえて謎を残すことによって読者や視聴者に感慨を託したのだろうと思う。
岡田くんは良かったよ。^^
1日1回押してよ・・・。
ありがとう。
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井筒監督の映画って、何かありましたっけ?自分も全く思い浮かびません。
何でも批判するのって、どっかの国の人みたいですね。
やはり、性格に問題がある人でしたね。
Re:井筒監督?
ですよね~、何かといえば美化してるだの軍国主義だのってねえ。
もっと違うこと言えないものですかねえ・・・。
もっと違うこと言えないものですかねえ・・・。
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