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  • 12/21/18:03

09.01.13:04

アジア開放者としての日本

アジア解放者としての日本
マイケル.ヨン氏


昨晩私はインドネシアのジャカルタから、此所タイのカンチャナブリ(クワイ川鉄橋のある町)に到着した。慰安婦問題について調査するためである。そして今朝鉄道建設という側面から同じ研究を志すタイ人の研究者にお会いした。(昨晩私はカンチャナバル上空を日本の国旗をつけた飛行機が飛んでいくのをみた、これは偶然かもしれないが興味深いことであった)

昨日私は米国がインドネシアの独立を後押ししたと発表したが、それに対してネットあるいはネット以外でも多くの反論が寄せられた。彼らの多くは米国がインドンシアの独立を助けたなどと言うのは嘘であると言う。しかし、それは違う。実際に米国はインドネシアの独立を支援したのである。これは本当である。

日本という国はその短い帝国主義国家としての歴史について多くの批判に曝されてきた。しかし、真実はそれほど単純なものではない。是非以下に述べる拙文を読んでほしい。これは私がジャカルタのインドネシア戦争博物館で見聞きしたものである。

欧米植民地主義はアジアのみならず、世界の殆どを覆い尽くしていた。
第2次大戦以前、すでに米国は日本を攻撃していた。それはシナ大陸における米国フライングタイガーズ航空隊の存在であったり、ABCD包囲網と呼ばれる、対日経済封鎖であったりした。当初日本は協議によって解決する道を探っていたが、最終的に決定的かつ壊滅的なる解決策に打って出た。それは3世紀にわたってインドネシアを暴虐的に支配してきたオランダを殲滅せしめたことである。もちろん、真珠湾その他への攻撃もその決定的かつ壊滅的解決策に含まれることは言うまでもない。インドネシアを占領した日本軍は、それ以前にオランダがインドネシア人に与えてきた蔑みをそのままオランダ人に与えた。

日本軍はインドネシア住民に対して、彼らを支配してきたオランダ人は神なる存在などではないとして、現地人の前でオランダ人を罵倒し辱めた。
日本軍はアジア人が欧米人に対して抱いていた劣等感を払拭せしめた。それは、インドネシアのみならずアジア全域においても行われた。もちろん、クワイ川鉄道工事に使役され死んだ連合軍兵士達の大きな墓所がある、ここカンチャンブリでも同じである。(その墓所については数年前に私が詳細にわたって紹介している)

日本軍はしばしば戦争捕虜を虐待したことで有名である。ここカンチャンブリでも私が今年初めに調査したフィリピンのバターンでもそうであった。その捕虜虐待の中心となった看守達は当時日本軍として勤務していた韓国兵であったと言うことも付け加えておく。

インドネシアを占領した日本軍はインドネシア独立のための準備を始めた。
例えば、オランダは現地人を劣等民族として扱い、言語も団結を妨げるため各地各民族の方言を話すよう要求していたが、日本軍は現地人を自分たちと同じように平等に扱い、民族としての統一性を確保するため単一の言語に統一するよう努力を促した。もちろん言語の統一性は軍事作戦上も要求されることでもあるのだが。

最も重要なこと、それは日本軍がインドネシア人に自信を植え付けたことである。もちろんそれはオランダ人がもっとも忌み嫌ったことでもあるのだが。
さらに日本軍はインドネシア人に対し組織的戦闘法をも訓練した。
原爆投下によって戦争が終結した後、アジア各地の日本軍に対しては本国より連合軍への降伏命令が伝えられ、多くの将兵はそれに従った。しかし、少数の日本兵はその後何十年もアジア各地で戦い続けた。

インドネシアでは多くの日本兵が本国からの降伏命令に従わず復員をも拒否した。彼らはインドネシア独立戦争に参加するため残留したのである。(他にも理由はあったであろうが、それは些少である)

そしてそこに米国が登場する。
欧州では連合軍がオランダを侵略していたドイツを打ち負かしたが、その戦争の結果、欧州と日本は疲弊した。
それに対し米国はマーシャルプランを立案し、疲弊した欧州の復興に乗り出した。もちろんその計画にはオランダの復興も含まれていたのであるが、
オランダはその帝国主義領土(植民地)の復活を望み、インドネシアの再植民地化を目指してインドネシア現地独立軍との戦争を開始していた。そこで米国はオランダに対し、インドネシアの再植民地化を諦めないなら、マーシャルプランによる援助を凍結すると脅した。その結果、オランダは再植民地化を諦めざるを得なくなったのである。

日本軍が独立成功への条件を整備した。
日本軍がいなければ、インドネシアはオランダに隷属し続けたであろう。現在、インドネシアで日本は多くの尊敬と信用を得ている。

今日、インドネシア人は自信に満ちあふれている。何故なら彼らは自ら戦い自由を得たからだ。そして米国はささやかながらもその独立の力添えをした。
日本軍がアジアにおける欧米植民地主義に終止符を打たせたと言うこと、この歴史的事実に疑いの余地はない。

独立後、インドネシアは独自の帝国主義は開始したともとれるが、しかしそれにより無実の犠牲者が発生したとか、完璧に邪悪なる指導者が現れたという話も聞かない。
私は何度もインドネシアを訪問したが、嫌な思いをしたことなど一度もないし、インドネシアの人々はいつも好意的で、欧米人と話すことを嫌がらずに会話を楽しんでくれる。これが今日私が言えることである。

 おっと、もう午前9時15分になってしまった。私は10時にタイ人の著述家に会わなくてはならない。この文章を閉めるときがきたようだ。それでは皆さんよい日をお迎えください。

1日1回押してってくれると嬉しいな。

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マイケル・ヨン氏 ありがとう。

本当に、日本の義務教育で、こういう内容を教えて欲しいものです。
特にこういう部分は、ぜひ。
「捕虜虐待の中心となった看守達は当時日本軍として勤務していた韓国兵であったと言うことも付け加えておく。」

  • 2015年09月01日火
  • ヒンメル
  • 編集
Re:マイケル・ヨン氏 ありがとう。
そうなんですよね、客観的な歴史観を教えるべきだと思います。
米国人の歴史観として、このように表現してくれることに嬉しく思います。
2015/09/02 07:41
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