12.21.11:47
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01.25.08:32
人種のるつぼと自己表現力
今日の本題です。「人種のるつぼ」と言われる我が祖国アメリカには様々な人種や民族がいますが、例えば外見は同じ白人に見えても異なるルーツ、宗教、道徳観、哲学を持ち、日常言語すら違うかも知れません。さらに各人の育った環境や教育水準、趣味嗜好がバラバラなのは当然です。ですから米国では、同級生や同僚、隣人と初めて話をしたときに、共通の話題が何一つ見つからなくても全く不思議ではないのです。
米国は基本的にそのような国ですから、他人に自分の意思を伝えたいときは、気持ちを「ズバッ!」と言い切らなければ通じるはずがありません。日本人同士の場合、黙って相手の目を見れば、一瞬にして心の内が分かるのかも知れませんが、米国人同士の場合、黙って相手の目を見て一瞬で分かるのは、瞳の色とまつ毛の長さくらいのものでしょう。
歴史や文化が全く異なる人を相手にしたとき、自分は明確に意思表示をしたのに理解されないということは当然あり得ますが、それは仕方がありません。一方で、あいまいな言葉や表現のせいで相手の誤解を招くことは、非常に恥ずべき行為だと米国では考えられます。
さらに、本心では言いたいことがあるのに何も言わないのは、最も恥ずべき行為とされます。米国人との会議で黙って微笑んでいるだけだと、自分の頭脳では何も考えられない無能な人間と思われるか、自分の意見を述べない卑怯な人間として責められる可能性もあります。これは日本人の常識とは大きくかけ離れていると思います。
ですから米国人にとって自己表現力は生きていく上で必要不可欠なものです。自分が言いたいことは必ず言い、しかも相手に正しく伝える必要があるのです。ですから「シャイで気弱で自己表現できない人」が米国で成功するのはかなり大変です。もし潜在能力は高いのに自己表現が下手な米国人が私の身近にいたとしたら、日本への移住を勧めます。
さて、私が通っていた中学校では2年生になると、自己表現のための「スピーチ」が必須科目になります。スピーチの時間には、原稿をいかに表現力豊かに読むか、強調すべきはどこなのか等を勉強しました。また、リンカーンのスピーチや有名な詩などの朗読もしました。そのほかにも自分が書いた原稿を暗誦して演説もしました。
この授業で行われた「エクステンポレニアス・スピーチ(extemporaneous speech=即興演説)」は特にハードでした。教師から渡された新聞や雑誌の記事を10分以内に把握して、その内容と自分の感想や意見を、同級生の前で10分間スピーチするのです。これは大変勉強になりました。
米国ではこのように中学校から必須科目として力を入れるほど、自己表現力を重視しているのです。日本人のような大人しい米国人に、みなさんがなかなか巡り会えない理由が分かりましたか?
一方、日本人は他人の気持ちを察することを重視する文化を持っています。だから自己表現が下手な人でも黙々と頑張ってさえいれば、偉い先生や優秀な上司として認められたりします。他の民族にはあまり見られない日本人の本当に素晴らしい特長だと思います。しかしこれが外交などの国際的な舞台では最大の弱点になります。
少し前に「KY」という言葉が流行りましたが、米国だけでなく国際社会では、他人の気持ちやその場の空気を読む配慮など、最初から無いことを知るべきです。つまり、思いやりや謙遜などの日本人的美徳を外交や国際交渉の場面に持ち込むのは、その方が「KY」なのです。
だからと言って某談話の内容に問題があったとしても、国家間で一度決めた約束事を後から取り消すというのは、先進国としての信用を失うのでやってはいけません。
ところで、自分から「KY」などと使った直後にこんな話をするのは恐縮なのですが、学校と家族以外のコミュニティに何も属さない日本の若い人達は、家族や友達以外としゃべる機会が極端に少ないので、使う言葉がデタラメになって行きます。まあ、私も子供の頃は似たようなものだったかも知れませんが、教会というもう一つのコミュニティの存在は言葉の乱れの一定の歯止めになったと思います。
さらに中学から始まったスピーチの授業のお陰で語彙、表現力、話す相手との距離、目線の使い方などを教えられ、磨かれました。これはその後の人生に本当に役立ったと思います。もしあの授業を受けていなかったら、バラエティやニュース番組への出演、講演会などの仕事を「楽しい!」と思える自分にはなれなかったかも知れません。
昨年、日本を訪れた外国人観光客は過去最高を更新しました。江戸時代のような鎖国政策をもう一度採らない限り、日本国内の国際化は今後も進むでしょう。円安が進行しているので、海外から日本への投資は割安感が出ています。善し悪しは別にして、日本の誇る大企業や老舗が外資系の傘下に入っても不思議ではありません。つまりある日突然、自分の気持ちを何も察してくれない外国人が上司になるかも知れないのです。
自己表現力は日本人にとって、今後ますます必要不可欠なものとなるはずです。ですから学校教育の一環として、日本でも人前で話すことを教育カリキュラムに取り入れるべきだと思います。日本がジェダイの騎士のように、国際社会でもっとリーダーシップを発揮する国になるのを期待している人は、世界中にいると思います。
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米国は基本的にそのような国ですから、他人に自分の意思を伝えたいときは、気持ちを「ズバッ!」と言い切らなければ通じるはずがありません。日本人同士の場合、黙って相手の目を見れば、一瞬にして心の内が分かるのかも知れませんが、米国人同士の場合、黙って相手の目を見て一瞬で分かるのは、瞳の色とまつ毛の長さくらいのものでしょう。
歴史や文化が全く異なる人を相手にしたとき、自分は明確に意思表示をしたのに理解されないということは当然あり得ますが、それは仕方がありません。一方で、あいまいな言葉や表現のせいで相手の誤解を招くことは、非常に恥ずべき行為だと米国では考えられます。
さらに、本心では言いたいことがあるのに何も言わないのは、最も恥ずべき行為とされます。米国人との会議で黙って微笑んでいるだけだと、自分の頭脳では何も考えられない無能な人間と思われるか、自分の意見を述べない卑怯な人間として責められる可能性もあります。これは日本人の常識とは大きくかけ離れていると思います。
ですから米国人にとって自己表現力は生きていく上で必要不可欠なものです。自分が言いたいことは必ず言い、しかも相手に正しく伝える必要があるのです。ですから「シャイで気弱で自己表現できない人」が米国で成功するのはかなり大変です。もし潜在能力は高いのに自己表現が下手な米国人が私の身近にいたとしたら、日本への移住を勧めます。
さて、私が通っていた中学校では2年生になると、自己表現のための「スピーチ」が必須科目になります。スピーチの時間には、原稿をいかに表現力豊かに読むか、強調すべきはどこなのか等を勉強しました。また、リンカーンのスピーチや有名な詩などの朗読もしました。そのほかにも自分が書いた原稿を暗誦して演説もしました。
この授業で行われた「エクステンポレニアス・スピーチ(extemporaneous speech=即興演説)」は特にハードでした。教師から渡された新聞や雑誌の記事を10分以内に把握して、その内容と自分の感想や意見を、同級生の前で10分間スピーチするのです。これは大変勉強になりました。
米国ではこのように中学校から必須科目として力を入れるほど、自己表現力を重視しているのです。日本人のような大人しい米国人に、みなさんがなかなか巡り会えない理由が分かりましたか?
一方、日本人は他人の気持ちを察することを重視する文化を持っています。だから自己表現が下手な人でも黙々と頑張ってさえいれば、偉い先生や優秀な上司として認められたりします。他の民族にはあまり見られない日本人の本当に素晴らしい特長だと思います。しかしこれが外交などの国際的な舞台では最大の弱点になります。
少し前に「KY」という言葉が流行りましたが、米国だけでなく国際社会では、他人の気持ちやその場の空気を読む配慮など、最初から無いことを知るべきです。つまり、思いやりや謙遜などの日本人的美徳を外交や国際交渉の場面に持ち込むのは、その方が「KY」なのです。
だからと言って某談話の内容に問題があったとしても、国家間で一度決めた約束事を後から取り消すというのは、先進国としての信用を失うのでやってはいけません。
ところで、自分から「KY」などと使った直後にこんな話をするのは恐縮なのですが、学校と家族以外のコミュニティに何も属さない日本の若い人達は、家族や友達以外としゃべる機会が極端に少ないので、使う言葉がデタラメになって行きます。まあ、私も子供の頃は似たようなものだったかも知れませんが、教会というもう一つのコミュニティの存在は言葉の乱れの一定の歯止めになったと思います。
さらに中学から始まったスピーチの授業のお陰で語彙、表現力、話す相手との距離、目線の使い方などを教えられ、磨かれました。これはその後の人生に本当に役立ったと思います。もしあの授業を受けていなかったら、バラエティやニュース番組への出演、講演会などの仕事を「楽しい!」と思える自分にはなれなかったかも知れません。
昨年、日本を訪れた外国人観光客は過去最高を更新しました。江戸時代のような鎖国政策をもう一度採らない限り、日本国内の国際化は今後も進むでしょう。円安が進行しているので、海外から日本への投資は割安感が出ています。善し悪しは別にして、日本の誇る大企業や老舗が外資系の傘下に入っても不思議ではありません。つまりある日突然、自分の気持ちを何も察してくれない外国人が上司になるかも知れないのです。
自己表現力は日本人にとって、今後ますます必要不可欠なものとなるはずです。ですから学校教育の一環として、日本でも人前で話すことを教育カリキュラムに取り入れるべきだと思います。日本がジェダイの騎士のように、国際社会でもっとリーダーシップを発揮する国になるのを期待している人は、世界中にいると思います。
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