12.21.15:10
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06.28.17:04
戦艦大和レイテ謎の反転の真相か?
戦艦大和が当時レイテ作戦を行わず、謎の反転をして北上したことは有名である。
月間正論に大和副砲長との対談記が乗っていたことがあってとても興味深かったんだが、誤って薪ストーブの焚き付けにしてしまった・・・。
それが、産経新聞系のIRONNAというサイトに載っていたのでもう一度読んでみた。
深井俊之助さん(元帝国海軍少佐・「大和」副砲長)このお方の証言となりますが、月間正論で読んだ部分の重要なところは削除されていました。
核心部分は当時の作戦参謀、この作戦参謀によって栗田長官は北上を決めたといわれています。
深井さん その間に怪電報があったのです。「敵機動部隊見ユ、地点ヤキ1カ 0945」というものです。これは栗田艦隊司令部にだけあって、他のどの艦も受信した記録がない。「大和」と司令部は通信所が全然違うから「大和」にもない。発信者も分からない。「ヤキ1カ」というのは飛行機用の符号なので、飛行機が打った電報だと分かっているが、栗田さんは戦後、これはマニラの南西方面艦隊司令部にいる同期生が打ってくれた電報だと言っています。その電報のヤキ1カ、「大和」の北方地点の敵に向かって反転したんだというのが参謀の言い分です。
僕があんまりしつこいから、作戦参謀がその電報を持ってきて、「この敵を叩きに行くんだ、これだ!」と示した。後から考えると、消去法でいくと、どうも作戦参謀の作文に違いないという結論に僕は達したのです。作戦参謀は、とかく噂のある、死にたくない人でした。以降の日程を考えても、次の日には爆撃を受けないようなシブヤン海の端まで行っている。それで逃げられる、と考えていたのだろうかとまで私は疑っています。ただし証拠はありません。
井上さん 栗田長官ご自身はどうお考えだったのでしょうか。
深井さん あの人は下から押し上げられて偉くなった人で、そんなに器量が大きな人ではない。だから作戦は参謀任せ。参謀が言うならそれでよかろうということではないでしょうか。ミッドウェー海戦で、護送していた輸送船部隊を置いて、沖縄に逃げ帰った経歴もあるから、僕らも信用していません。それでも戦後、あれは俺の一存だったと、全部責任を負われた。しかし実際はそうじゃないと思います。
とまあ、こんなところが真相だったようですね・・・。
で、月間正論にはこれ以外にも作戦参謀について語っていました。戦後、国会議員となって何期も務めた人だって書いてあったのだが、これを書くと誰だかわかってしまうので削除したようだ。
ウィキペディアで調べてみたところ、この時の作戦参謀で戦後、議員になった人物に突き当たった。大谷藤之助
彼はなんと、栗田艦隊の謎の反転のすべてなる手記も発表しているようだ。読んでみたいものだが。
大谷「空船の輸送船を潰すか、北の方向に存在する敵艦隊を撃つか、どちらが重要か分かるだろう」とのことだったらしい・・・。
深井さん レイテ湾には40隻くらい敵の輸送船がいた。空船にせよ何にせよ、輸送船がどんどん沈められたらレイテ湾は使えなくなったでしょう。旅順閉塞みたいなもので、船で増援部隊、増援物資を送れなくなり、そうなれば6万の米兵が干上がってしまう。そして次の作戦までに3カ月や4カ月はかかる。また、「大和」と「長門」が艦砲射撃すれば、陸軍の守備隊も少しは盛り返して、飛行場を取り返すだろうと想像できた。希望的観測をすればそんなところです。その3カ月か4カ月の間で、有利な条件で講和ができれば、連合艦隊がつぶれてもいいじゃないか。国のためにやることだからしようがない、そういう気持ちでした。
自分としては深井さんを支持します。
戦艦「武蔵」の最期、そして「大和」謎のUターンを語る の全文を是非お読みください。
押してってくださいねえ。^^
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